社長のメッセージ
株式会社ななほし まごの手 代表取締役社長の青山和弘です。
私が住んでいる所は、岐阜県の最北端の飛騨市神岡町という緑豊かな街です。神岡町は鉱山の町として栄えていましたが、時代とともに衰退し町の交通機関であった鉄道も廃止となりました。今ではその廃線跡を利用した楽しいアトラクション“ガッタンゴー”や、鉱山の巨大な地下空間を利用した世界最大の地下ニュートリノ観測装置“スーパーカミオカンデ”で故 小柴教授、梶田両教授がノーベル物理学賞を受賞されたことで知られるようになりました。
私はこの町で福祉職員として働いていましたが、もっと飛騨市のお年寄りが健康で過ごせるよう、介護予防の施設を立ち上げたいと思うようになり、平成27年3月3日に会社を立ち上げることとなりました。
会社名は「株式会社ななほし」としました。"ななほし"と言うのは、ななほしてんとう虫から付けました。
てんとう虫が体につくと幸せになるといわれています。当施設を利用していただいて「幸せ」になって頂きたい。
また、てんとう虫は天に向かってまっすぐ飛んで行くことから目標に向かって進んでいけたらという思いを込めてです。
そして、施設名称にある「まごの手」はまさしく、かゆいところに手が届く施設でありたいと願いが込められています。
良い意味で、福祉施設を感じさせないような、木造で温かみのある「まごの手」が完成しました。
しかし、その年の5月、持病の高血圧の定期検診に併せ健康診断を受けたところ、腹部に複数の腫瘍がみつかりました。
同じ年の6月に入り入院して、さらに詳しく検査もしました。
初めての入院ということもあり、とても不安で未来のことは考えられず、悪い事ばかりが頭をよぎりました。初めて“死”というものを身近に感じ、妻にも覚悟するように伝えた覚えがあります。そして子ども達にどのように伝えるのか夫婦で相談するとともに、事業を続けられるのか諦めるべきなのかの選択にも迫られました。
7月24日ついに手術の日を迎えることとなりました。6時間30分の手術に耐え、直腸と結腸の2か所を切除し、腸全体の6割を失い、さらに大網も切除しました。当初確認されていたより多い12個の腫瘍(肉眼で確認できるもの)がすべて摘出されました。
その後は順調に回復し、8月11日に無事退院することが出来ました。しかし、これで終わりではなく、ここから長い抗がん剤での治療が始まりました。
あれから6年…いくつかの副作用の症状にも耐え現在に至ります。今は多少のむくみが気になることもありますが、幸い再発の兆候は見られていません。
この病気になり何もかも投げ出したいと思ったこともありましたが、家族や友人達が優しく見守り、支えてくれたことで今の自分があるのだと感謝するとともに、いまの自分にできる範囲内で目標を立て、楽しむことをモットーに過ごしています。その一つは以前から飼いたいと思っていた柴犬を、2年前から飼い始めました。そして家も新築しました。事業での借金がある上にまた借金です。この子を看取るまで、借金を返すまでは死ぬわけにはいきません。
まだまだ、やってみたいことが沢山ありますので、皆さんの知恵や協力等を賜りながら進んでいきたいと思います。
これからの【株式会社ななほし まごの手】については、次回、更新時に載せます!
青山 和弘(Aoyama Kazuhiro)
1967年7月22日 岐阜県各務原市生まれ
職歴
1987年07月 社会福祉法人三輪会 特別養護老人ホーム光の園入社
1993年12月 社会福祉法人三輪会 特別養護老人ホーム光の園退社
(介護職員として現場を経験)
1994年01月 社会福祉法人神東会 特別養護老人ホームたんぽぽ苑入社
2014年12月 社会福祉法人神東会 特別養護老人ホームたんぽぽ苑退社
(光の園での経験を活かし、生活相談員として入社して以降、20年間を特養や通所介護、訪問介護、居宅介護支援といった福祉業務に携わり、神岡町の福祉基盤構築に大きく貢献する。)
2015年03年 株式会社ななほし設立
(「自分らしく、その人らしく」という精神からあるように、その人にあった福祉サービスを利用していただくことが重要であると強く感じるようになる。
また、この地域において、今後、介護予防サービスが必要になるとの思いも強く持ち続けていた。
それらの実現に向けて、より自由な立場で仕事がしてみたいとの思いから独立を決意し、株式会社ななほしを立ち上げる。)